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MSN物語その5

さて、最終回の予定、MSN物語その5です。今回は坂口くんが登場しますが、それはまぁ最後です。前の続きはというと、1st ALBUM(書き忘れてたけどタイトルはセルフ)MACHINE AND THE SYNERGETIC NUTSを自主制作で出した後、アメリカのCUNEIFORM RECORDSから2ndのリリースの話を貰いました。実は、個人的には昔から聴いてたレーベルで、つまりカンタベリー・シーンがアメリカに与えた影響下のレーベルという感じで、THE MUFFINSや、本家SOFT MACHINEのレア音源などをリリースしてるので、昔からちょこちょこ買ってたレーベルでした。つまり、凄い嬉しいわけです。まぁ自分のカンタベリー趣味の話ではありますけど。そんなわけで、1stを出してすぐに2ndの録音を始めました。ちなみに、2ndの曲は、ほとんどライブでやったこともなく、曲のつなぎあわせやその場で作曲したりとか、そういう感じでした。なので、実はそれ以降も2ndの曲はあまりやってません。1曲目のM-Bという曲だけよくやってます。ちなみに、MBという頭文字はメルセデス・ベンツなのかMr.BungleなのかMelt-Bananaなのか、とか諸説ありますが・・・Miamiって曲とBrusselって曲をくっつけただけです。メンバーはずっとマイアミってこの曲を呼んでました。ちなみにとても後から気づいたことですが、実はくっつけた後Miamiの部分はほとんどカットしていて、ほとんどBrusselって曲でした。(すごい無駄な情報に文字数を使ってる気がする・・・)
話が進まないので、もう2ndアルバム”Leap Second Neutral”を録音して、リリースしたところまで行きます。あ、ちなみにうちで録音しました。ジャケはまた山下にやってもらって、ゲストにまた松江さんと高橋結子(けっちゃん)に参加してもらいました。確か2ndのビブラフォンとかは私が叩いたような記憶が・・・というわけで、アメリカ、ヨーロッパと流通され、世界的に(マニアックなプログレの世界で)知られることになったMSNの2ndアルバム、日本ではそんなわけでdisk unionのArcangeloというレーベルから出ました。ここは特に喜ぶ所ではないのですが、でもスズキさんの旧友(現Arksの竹川さん)と絡めて良かったです。ここは喜ぶところじゃないというのは、1stはあまりプログレ色なしで見てもらってたのに、セカンドはプログレ扱いになってしまったことです。ながれで帯に「メロトロン」って書いてしまいました。まぁ、ホントに使ったんですが。disk unionのプログレ館で買うCDになってしまいました。1stはTOWER RECORDで展開してくれてたのに・・・
さてしかし、そんな心配も問題なく、結構評判もよく、M-BはCRJ東京のチャートで1位になるという快挙!ちなみに2ndが出る前に福岡の友達のボギー(nontroppo)がオムニバスのCDRに誘ってくれたので、製作途中だったTEXASという曲を途中から別の展開させたTEXAS HITTERという曲で参加させてもらったんだけど、その曲もCRJにチャートイン!と、思ったより良い評価を貰いました。
というわけで、ここまでがMSNの現在までの歴史です。でも、まだ2005年なんです。そこからもう8年?一体どうしてたか説明します。まず、たしか、気まぐれでメンバーのソロCDRを作ろうって話になって、ノリヤ以外の三人がソロCDRを作りました。スズキさんは歌もの、マヒマヒはテクノ、私は即興とナンセンス。もちろんもう売ってません。ライブ会場と通販だけで少しだけ売りました。ちなみに、このとき私のCDRを通販で買ってくれた山口県の青年(?)が山本達久くんです。この数年後に一緒にバンドをやるとは!
バンドでの曲作りも多少は進めてて、この頃に作ったmsgという曲、まだ録音してないんですが、これは今でもお気に入りのナンバーです。ドラムの話ですが、この頃私はタイからやってきたcliquetparというブレイクコアのアーティストに生ドラムで参加するということをやっていて、それをヒントに、ひたすら高速にジェネシスの7拍子を演奏するということを思いつき作った曲です。今でもライブでやってますが、曲ができた当時のライブがSpaceShowerTVでちょこっと紹介され、DAXというネット上のアーカイブに残ってました。でも最近は消えたみたい・・・ニコ動で見れます。ちなみに、その動画では曲はフェードインして途中からM-Bにメドレーになってるので、曲の全貌ではないです。
さて、まだ割とまともな話しかしてませんが、2000年代の後半はわりとおかしな事になっていて、ライブはやるけど、曲は半分くらいインプロだったり、皆でマイケル・ジャクソンのビート・イットをやったり(そういうのは昔からか・・・)、挙句にはバンド名もMACHINE AND THE SYNERGETIC NANOにしたりしてました。iPod nanoっていうのが出た頃です。それとキーボードのノリヤが仕事やら家庭やらで忙しくなり、そんなふざけたバンド活動にも愛想を尽かしたのか、ライブに消極的になったので、他のメンバーもライブに積極的にならなくなり、ライブも減っていき、2007年に2本ライブをやったきり活動をしなくなりました。その後の活動といえば、皆で公園に行ってBBQしたくらいです。
さて、その後の話ですが、実は2010年に一度だけライブをやります。友人のMontecarlo Scrap Flamingo(以後MSF)とMSがつくバンド名を集めてライブをやろう!って話をしたのかどうか覚えてないんですが、当時私はLoudsというパンクバンドでお世話になっていた亀戸ハードコアというお店で、MSNとMSFでイベントをやろうということになったのでした。他の出演者は私がお願いしてELECTRIC EEL SHOCK、狂うクルーという豪華なメンツで、大成功のイベントでした。
それから2年くらいたち、私は(もうすっかり)「もう死んだ人たち」のベーシストとして活動してたのですが、マヒマヒやスズキさんとはよく「またMSNやりたいねーっ」って話をしてました。ふと、そのことを「もう死んだ人たち」のツアー中に名古屋のブラジル・コーヒーってところで思い出し、思いつきで、ドラムの山本達久くんや波多野敦子さんや石橋英子さんに、「そういえば誰かMSNでキーボード弾いてくれそうな人いないかなぁ?」って相談したところ、坂口くんがいいんじゃない?ってみんなに薦めてもらいました。坂口光央くん、確かにナスノミツルさんのTENELEVENで見たことがあったけど、ミュージシャン、って感じがして、私らみたいなディープ・パープルのコピーバンドの延長上のバンドに入ってくれたりするのかなぁ・・・?って思ってたんだけど、達久くんの紹介とプッシュのお陰で、一度一緒にスタジオに入ることになりました!そして、スタジオに入ってみたら、まぁ、さすがに上手い!っていうかバッチリ!っていうか、ノリヤに顔が似てる!イニシャルもS!最高!採用!いや、もちろん最初から入ってもらいたかったんですが、坂口くんも楽しんでくれてるみたいで、なんとココに来て初のメンバーチェンジ!(一応ノリヤは永久メンバー)。そして、何度かスタジオに入ってるうちに、ライブがやりたくなる!そして、このメンバーならライブが出来る!というわけで、ライブを決めてきちゃいました!それが来月7/22ネストで。またもや3年ぶりのライブ!
やっぱり2回に分ければよかった、とてつもなく文字数が多い・・・あと一つだけ!その復活ライブにMusic From The Marsが出てくれます。1stアルバムの帯を書いてくれた藤井くん、MSNが活動を始めた頃から、ずっとMSNと付き合ってくれてて、年に一度は一緒にライブをやりたいとずっと思ってたし、ずっとやってたのに、途中でこちらは活動ができなくなってしまった。でもまたライブが出来るようになった時に一番最初に対バンとして決まったのがMusic From The Marsで嬉しい。そして他にも、なんと私も一時メンバーだったヘンリーテニスも出てくれることになり、それと私達が「復活ライブをやるなら一番好きな場所にしよう」といって決めたライブハウス渋谷O-nestのオススメバンド、ORDINARY PURPOSE PLUG AND INVITATIONが出ます。そんなわけで、次回のライブの告知でした。終わり。最後まで読んでくれてありがとう!

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奇形児ライブ

ジムO六デイズ中であり、ブログ的にはMSN物語中ですが、6/23に奇形児のライブが横浜であるので、お知らせです。
横浜なのかどうかよくわかりませんが、そっちの方です。
2013/06/23 日曜日
THE CLUB SENSATION
「日ノ出ノヨル」
出演
WORSTVISION
奇形児
THE DEAD PAN SPEAKERS
ザ・ミズタマリス
18:00 open/18:30 start adv¥2,000/door¥2,500ドリンク別¥500
あれ?これソールドアウトなのかな?
ちなみに東京でのライブは
7/15 @新大久保EARTHDOM w./JOJO広重、血と雫、BAKI、ファラオ
8/9 @新代田FEVER 「殺害サミット 怒濤の3DAYS-dark night」
と、あります。他にもありますが詳しくは
www.kikeiji.com
なんてありません。

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MSN物語その4

皆さんはお気づきでしょうか?このMSN物語、回を重ねるごとに文字数が増えていることを・・・気軽に読んでいただきたいのに、書きたいことが意外に多くて、どんどん文字数が増えていってしまってます。なんかデアゴスティーニの気分です。さて、今回はメンバーではないけど松江潤さんの登場です。
最初から松江さんの話ですが、私は21世紀になった後、GOMES THE HITMANのサポートドラムをしてもらっていた金野由之さん(元DEEP&BITES他)を通じでギタリストの松江潤さんと知り合いました。松江さんとはそれから現在まで、TREMOLO FAN、SPOOZYS、Jun Matsue GroupといったバンドやHARCO、長澤知之といったアーティストのサポートなどで一緒に演奏させてもらってるのですが、知り合った頃松江さんに、「MSNというバンドをやってるんで是非ライブ見に来てください」といって見に来てもらいました。バンドをとても気に入ってくれたんですが、「ベースの人って外国の人?」って聞かれたので、「いえいえ、江戸っ子です、鈴木さんっていうんです」と答えました。松江さんが帰った後、スズキさんがライブハウスのゲストリストを見て、「須藤ちゃん、松江くんと知り合いかい?」って聞いてきました。話を聞くとスズキさんは昔、松江さんとバンドをやりかけたことがあって「一緒に銭湯とか行ったんだよ」って言うので、後日松江さんにその話をしたら、「え!ジェニーさんだったの!?」と、思い出したのですが、スズキさんの当時のニックネーム(というか自称?)がジェニーというのも衝撃ですが、松江さんが外国の人と勘違いしてるのも衝撃でした。結局その後、私とスズキさんはJun Matsue Groupのメンバーとして松江さんと一緒にライブをしたという運命的な出会いと再会がありました。
Jun Matsue Groupですが、松江さんが2003年にリリースしたギターアルバム「TRIUMPH OF GUITAR MURDERER」というアルバムの参加メンバーによって作られた、ライブのためのグループです(スズキさんはアルバムに参加してませんが)。話がメチャクチャ前後しますが、このアルバムの製作前に松江さんと知り合った私は、ジェフ・ベック好き同士意気投合し、松江さんのこのアルバム制作に私は全面的に参加させてもらいました(ほとんどのドラムとベースを担当、曲も共作あり)。そして、ここからMSNに話が戻りますが、このアルバムのリリースに際して作られた松江さんのレーベル、adamski recordingsから、第二弾的にMSNのファーストアルバムもリリースしてもらえることになり、しかもMSNのファーストアルバムにも松江さんにギターで参加してもらえることになり、ついに、2000年から作り始めたMSNのファーストアルバムが3年の歳月をかけて、完成しました。
ちなみに、アルバムには前出のデモ・テープの曲のほとんどの再録と、新曲(たしかpeakとtimeと・・・)を収録、そして、ゲストに松江さんの他、当時仲の良かったMong Hangのmanbubu(夘木英治、ちなみに後のMELT-BANANAのドラマーの一人)、GOMES THE HITMANの高橋結子、THERMOの君島結に参加してもらい、ジャケット、その他アートワークは「MSN物語その1」に登場した高校時代のバンド仲間、山下淳にお願いして、帯のキャッチコピーをMusic From The Marsの藤井友信にお願いして、adamski recordingsとALIBABA RECORDS(なんで付けたかよくわからない自分たちのレーベル)の連名で2003年にリリースしました!(急に敬称略ですみません。)
ついにリリースされたMSNのアルバム、ハッキリ言ってだいぶ粗削りですが、実際幾つもの雑誌のレビューなどでも紹介していただき、以前demo2000を高く評価してくれてたCuneifrom Recordsのスティーブさんの流通WAYSIDE MUSICを通してアメリカ、クリス・カトラーさんのReR Megacorpを通してヨーロッパにも紹介してもらい、思った以上に、プログレ各方面からレビューや評判、そして、ラジオでのオンエアなどで紹介されました。そうです、実はオシャレなバンドを目指して始めたバンドだったんですが、この頃には完全に海外では日本のプログレバンドとして紹介されてました・・・まぁ、音楽も気づいたらオシャレじゃなかったんですが。日本ではあまりプログレ扱いは無かったんですが、当時ROVOやDCPRGのフォロワー的に扱ってもらってたのかな?まぁ、インストバンドの一つとして何故か名古屋と関西のカレッジチャートにランクインしました。
フィラデルフィアのラジオ局、gagliarchives(プログレラジオですが)では収録曲”Berlin”が年間チャート6位という快挙!そして、なんとNHK-FMライブ・ビートにも出演!と、思ったより全然良い感じでバンドが評価されました。なんせ、リリースしたといっても全部自腹だし、売れなかったらどうしよう・・・みたいな感じでしたから。
しかも、アルバム・リリース後にはCuneiform Recordsから正式に2ndアルバムのリリースの話も決まり、もう2nd録音しちゃおう!という乗りに乗った状態がやって来ました。たぶんこの頃にマヒマヒは東京に引っ越してきてて、普通にバンド活動が出来るようになったんだと思います。年間3〜4本だったライブも6〜7本に増え(あまり増えてないね・・・)対バンもNATSUMENや近藤等則FREE ELECTRO、LED、STRUGGLE FOR PRIDE、おとぎ話等、今じゃありえない豪華かつ幅の広い活動をすることが出来ました。
さて、盛り上がるだけ盛り上がったMSN(まぁ、私達の基準ですが・・・)、次回最終回(予定)で衰退して終わる・・・みたいなことになるような気がするんですが、そうでもないです。次回、ついに坂口くんが登場します。
ちなみに、昨日たまたまですが、Cuneiformのスティーブさん(今更ですがSteve Feigenbaumさん)からメールを貰いました。冬眠してたMSNが目覚めていくような感じです。忘れてた曲を思い出す感じです。そして毎回文章が長くなっていってしまってすみません。

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MSN物語その3

前回のつづき、スズキヒロユキさんが登場します。
実はさっきまでマンダラ2という吉祥寺のライブハウスに行ってて、久しぶりに店長の中野さんと話をしたのですが、前回のつづき、つまりMSNの初ライブは吉祥寺のマンダラ2だったのです。ちなみに、先の話ですが、レコ発ライブもマンダラ2でやりました。
さて、ライブに誘われて・・・ベースがいないって話を前回書いたのですが、なんか思い出したり調べてるうちに色々時系列を間違えてる気がしてきました。まぁ、最初から曖昧な記憶で書くと宣言したので、そういうものだと思って欲しいのですが・・・。というのも実は初ライブの時、マヒマヒ・スドウ&ノリヤという名前ではなく、もうちゃんとバンド名をMACHINE AND THE SYNERGETIC NUTSにしてたわけです。というのもあたりまえで、デモ・テープを配るときにたぶん三人でバンド名を考えたんだと思います。実はバンド名の由来は去年の11月にブログで一度書いたんですが、詳しく書くと、マヒマヒ、スドウ、ノリヤの頭文字からバンド名をつけようとなったときに、私がなんとなく「マイク・アンド・ザ・メカニックス」というジェネシスのマイク・ラザフォードのバンド名みたいなのが付けたいと思ってたんですが、「ウチのバンド、マイクいないしなぁ・・・マヒマヒ&ザ・・・じゃマヒマヒとバックバンドみたいだしなぁ・・・」と思ってた時にふと、当時自分たちのバンドの曲作りは基本的にノリヤがMIDIで打ち込んで、私がMIDIのエディットをして・・・みたいな方法だったので、自分たちのリーダーはMIDI、機械、マシーンだ!と思い、マシーン&ザ・・・にすることにしました。で、SYNERGETICという単語はノリヤのアイディアで採用、Nは最初NERDSにしようと思ったんだけど、それだとNのノリヤがNERDSみたいだから嫌だと言ったので、NUTSに・・・(どっちでもいいんじゃないの?って思ったけど)。そういうわけで、MACHINE AND THE SYNERGETIC NUTSになりました。前にブログに書いた内容ですが、最初にMSNにするかNSMにするか・・・みたいに考えてたときは、MicroSoftNetworkと同じにしようってことで、MSNにしました。
さて本題、1998年にライブに誘われた時に我々が思いついたベーシストの一人目がスズキヒロユキさんでした。スズキさんは私は94年くらいからの知り合いで、MELT-BANANAのライブによく来てくれてました。知られてることがどうか知りませんが、MELT-BANANAのギターのAGATAさんが当時使ってた(今でも使ってるのかな?)ギターはスズキさんがMELT-BANANAを気に入って、AGATAさんに格安で譲ったギターです。そして、この頃はスズキさんは前回出て来ましたビックEのベーシストだったのです。つまりノリヤはバンド仲間だし、私もたまに一緒に演奏する昔からの知り合いだったわけです。そして、マヒマヒとも相性バッチリ!(人間性の話です)。そして音楽的にもMSNに新たにフレットレス・ベースというキャラクターと、パンク・ノイズ〜ロック、フリー・ジャズ的な要素を持ち込んでくれて、ここで初めてMACHINE AND THE SYNERGETIC NUTSというバンドになりました。そう、前にもブログで書きましたが、スズキさんなので、頭文字的にもMSNに含まれてる!それも重要でした。
初ライブの様子(レビュー)がタケさんという方のHPに残ってました!
http://homepage3.nifty.com/TAKEDA/live98-2/981119.html
ん?ライブ誘ってくれたのってオノテツさんじゃなくてイトケンさんだったかなぁ?ちなみにこのふたりは当時は主にHarpyというバンドで活動してました。
そうか、6曲もレパートリーがあったのか!でも曲が足りなくて、なんとなくジョークでビリー・ジョエルの「さよならハリウッド」の途中から演奏しました。それ以来、MSNのライブでは、ほぼ毎回、「なんか知ってるこの曲!」みたいなカバーをメロディをサックスで吹くという脱力アレンジで演奏するのがお決まりになってしまいました。
このレビューにベースがゲストって書いてありますが、確かにスズキさんはゲストだったんですが、すぐにメンバーになることが決定。そして、4人でデモ・テープをまた録音しよう!ってことになって、demo2000ってタイトルだったと思うんですが、また4曲入りくらいのデモ・テープをうちで録音しました。あれ?ってことはdemo2000は完成は2000年かな?でもそんなもんかも。なんせマヒマヒ大阪に住んでたし・・・で、何が入ってたんだろう?コレも今手元にないんだけど、たぶんgate of difference,tensegrity,swang?puppet show?やっぱり思い出せない・・・ホントにそんなテープ作ったっけ?
そして、MSNはバンドとしてライブ活動も始め1999年には初の大阪でのライブ、2000年にはマンダラ2で自主企画ライブ・・・と年に3,4本のライブをやっていました。そして、demo2000以降もノリヤもHDDレコーダーを(最終的に2台)買い、ミキサーも買い替え、アテもなくフル・アルバムのレコーディングを始めました。ちなみにdemo2000は海外にもテープを送り、クリス・カトラーさんやCUNEIFORM RECORDSのスティーブさんからも良い反応をもらえたので、よし、アルバムを作ろう!ってなったんだと思います。
そんなわけで、次回はメンバーじゃないけど、松江潤さんが登場します。

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MSN物語その2

前回(6月14日)の続きです。マヒマヒが登場します。
というか、マヒマヒがいったいいつ現れたのかよく思い出せないんです。95〜96年ころ前回書きましたが私はMELT-BANANAのドラマーで海外ツアーなども始めたので、他のバンドは基本的にやってなかったんですが、その例外がノリヤとやったfiddle2、それともう一つビックEというバンドにもその頃参加したりしてました。ビックEは後に私がバイトすることになるビデオ屋の店長、江川さんのバンドで、当時ノリヤはメンバーとして参加してました。それで、私も出来るときに参加させてもらってたんですが、パートは無茶苦茶で、タンバリンだったり、吹けないのにトランペットとかやってました。そのビックEに後に参加するのがサックスのマヒマヒ(from大阪)です。でも、ビックEに参加するずっと前から知り合いのような気がするし、マヒマヒは大阪に住んでたんですが、私がMELT-BANANAで大阪に行った時やマヒマヒが当時「身長2m」や「モッシュルーム」というバンドや自身の「ディルージョン・ヴァレー」で東京に来た時によく会ってました。
というのが私の曖昧な記憶だったんですが、実は記憶力のいいマヒマヒに正解を聞いたところ、私はその頃1度だけ「カウンタックス」というビックEの江川さんがベースを弾いてたバンドの代打ドラマーで大阪に行ったことがあり、その時の対バンでマヒマヒが出ていたらしい・・・それで打ち上げで向かいの席に座った・・・とのことです。「カウンタックス」のことも(自分が演奏したこと)は覚えてなかったし、マヒマヒと打ち上げで向かいの席に座って話したという事実も全く記憶に無いんですが、まぁ、それは置いておいて、その頃マヒマヒが東京に来た時に私の家に泊まりに来て、色々音楽の話とかしてた(んだと思うんだけど)流れで、ちょっと前にやったfiddle2の(ライブを録音した)テープを聴かせて、「これは一度きりのバンドだったんですが、この曲を演奏するバンドを一緒にやりませんか?」的なことをマヒさんに言ってバンドに誘った記憶があります。マヒさんも気に入ってくれて話にのってくれたので、さっそくノリヤにその話をして、それで、マヒマヒ・スドウ&ノリヤ、略してMSNが結成されたのでした。
そんなわけでMSNを結成して、とりあえず3人でボーリングにいって3人でプリクラを撮りました。それが粋な遊びだと思ってた時代なのかもしれません。ちなみに、マヒマヒをバンドに誘った時に思い描いてた音楽はクラブ・ジャズ、M-Base、カンタベリー、New Yorkのアヴァンギャルド、的なものでした。オシャレな音楽でモテるつもりで始めました。ブラン・ニュー・ヘヴィーズとかアート・リンゼイとか流行ってたしね。(古いか?)
ボーリングとプリクラは置いておいて、3人でバンド始めたっていうのも変な話で、サックス、ドラム、キーボードなんですが、ベースも居ないし、ベース募集も兼ねてデモ・テープを録音しよう!ってな事になって、当時シカゴ(っていうかスティーブ・アルビニの家で)でレコーディングをして帰ってきたばかりの私は自分で録音しようと思い、ドラムやマイクを買って宅録でデモ・テープを取り始めました。デモ・テープといっても、当時まだ高かったHDDレコーダーにアナログ・ミキサー、DATマスターで録音して、配布だけまだ本当にカセットテープという時代でした。先にキーボードとドラムを6畳の私の部屋で録音して、その後に私がベースを弾いて、その後にマヒマヒのサックスを録音してました。当時マヒマヒはまだ大阪に住んでたので、東京でのライブのたびに数日余計に滞在して、うちでサックスの録音をしてました。マヒマヒが東京でライブしてたバンドの幾つかは担当楽器がベースだったのですが、マヒマヒはサックスを持って東京に来て、私のベースを貸してライブをして、うちに来てサックスを録音するという日々でした。関係ないですが「モッシュルーム」というバンドは殺害塩化ビニールだったので、私もたまに殺害サミットみたいなライブに行ってました。
そんなこんなでバンドを組んだのは1997年、最初のデモテープが出来たのは1998年でしょうか。どうやらその間に私はMELT-BANANAをやめ、ベーシストとしてGOMES THE HITMAN、ドラマーとしてTHERMOで活動を始めたようです。完成した4曲入りデモ・テープをイトケンさんやまわりの知人たちに配ってました。もちろん今聴くととても稚拙なんですが、一部の人から良い反応がもらえ、イトケンさんを通じてハッピー・ファミリーと知りあえたり、Rotter’s Paperというミニコミに載せてもらえたりしました。確か1st に再録したOr Lots of Squares、Metropolican、A Couple of Ketteles、もう一曲なんだっけか?の4曲入りだったと思います。
そんなある日、というか1998年も後半に、ビックEのキーボード(ノリヤじゃない方)のオノテツさん、というか私の大学の先輩でもあるオノテツさんから、マヒマヒ・スドウ&ノリヤでライブをやらないか?とお誘いを貰いました!デモテープの段階ではベースもドラムも私なんですが・・・
そんなわけで、次回、スズキヒロユキさん登場です。

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MSN物語その1

単なる思いつきですが、MACHINE AND THE SYNERGETIC NUTS(MSN)の歴史を紹介します。簡単な紹介じゃなくて全5回くらいの物語にしようかと思います。今回は第一回、MSN結成以前の話です。
基本的にMSNの歴史というより、私の歴史というか自伝というか、私のとても曖昧な記憶を紹介しようと思います。私が中学3年の時からこの歴史は始まりますが、確かそのころ初めてバンドを組みました。友人の山下と蓑部と。で、たぶん3人同じクラスだったのかな?そんなんでバンドを始めて、実際高校3年くらいまでこの3人は一緒にバンドやってたんですが、高校に入った時、クラスが皆バラバラになりました。それで、私は自分のクラスが何だったか思い出せないのに、山下がF組だったことはよく覚えてます。どういうことかというと、毎日昼休みや放課後など、いつもF組に行って、毎日のようにトランプでドボンというゲームをやっていたのでした。そのトランプをやってる仲間で、そのうちまた別のバンドを組むようになりました。それがEjavlas Asirnosです。バンド名なんてどうでもいいんですが、そのバンドのキーボードが後のMSNのメンバー岩田ノリヤなわけです。ちなみにそのバンドには山下は居なかったのですが。
そんなわけで、Ejavlas AsirnosはF組の仲間たちと作った楽しげな洋楽ロックコピーバンドでした。ジャーニーやディープ・パープルといったキーボードが入ってる曲をやってましたが、とてつもなく下手でした。その後、ノリヤと私は他にも2、3、高校時代にバンドを一緒にやりましたが、主にディープ・パープル、たまにレインボー、まれに「21世紀の精神異常者」や「ラウンドアバウト」なんて曲にもチャレンジしつつ、高校を卒業しました。そんで高校卒業後、大学入学まで1年間勉強の時間があった私とノリヤは、もちろんバンドを辞めたのですが、お互い音楽を聴く仲間になりました。というか、高校時代は一緒にバンドやってても実はそれほど仲良くなかったんだけど、この時代以降、音楽聴く仲間として、お互い、ジャズやプログレ、フュージョンやクロスオーバー、カンタベリーやジェネシス、スワンプ・ロック、ブラック・ミュージック、結構マニアックな音楽から普通のアメリカ人の好む音楽まで色々聴いてました。
大学に入ってしばらくしてから私はライブハウスに出ようと思い、また高校の時の仲間(含むノリヤ)とFiddlestickというバンドを始めました。適当にブッキングしてもらいながらオリジナルを演奏するというのを少しの間やってましたが、曲はメンバー皆で作ったり持ち寄ったりでした。ちなみにノリヤがこの頃作った曲がMSNの1stに入ってるA Couple of Kettlesという曲です。曲名は何か違った気がするけど・・・で、まぁ、そのバンドはそんなに発展せず、しばらくして私は大学の先輩たちのバンドMELT-BANANAにドラマーとして入ることなり、自分でバンドをやらなくなってしまいました。一応ここまでが、私のギタリスト時代。そう!ここまで私はずっとギター弾いてました。まぁ、あまり上手くないんですが。
さて、そんな訳でドラマーになった私はMELT-BANANA(実際名前は違ったけど)に加入して、わりとライブハウスでの活動が盛り上がって来ました。結構マニアックだけど評価を受けてたので、他のバンドはやらなくなりました。でも基本的にハードコアっぽかったMELT-BANANAの音楽性より、ジャズやジャズ・ロックに興味のあった私は、東京大学のジャズ研に入っていたノリヤにたまに誘ってもらって、適当なジャズ(当時はいわゆるFake Jazzのつもり)の演奏をしてました。まぁ、ギター弾いたりしてた気がするんですが。そんな流れの中で、1995年、私はMELT-BANANAで海外ツアーしたり、海外のバンドのオープニングとかでクアトロに出たりと結構活躍してた時に、ふとノリヤにバンドに誘われました。ノリヤが友人に誘われたライブイベントで、自分(ノリヤ)のつくった曲をやるために、今度は私はドラマーとして入って、Fiddle2というバンドを作りました。そのバンドにはノリヤのジャズ研仲間もいたので、管楽器の何人かいるジャズ・ロック・バンドでした。一回きりのライブのバンドでしたが、このときに演奏した曲は後のMSNのOr Lots of Squares、METROPOLICANなどがあった気がします。
そんなわけで、次回はマヒマヒ登場です。

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ライブに行くのでお知らせ

週末はジムのバンドでライブに出かけてきます。東京からちょっと離れて(と言いながら、どれくらい遠いか知らない)、岐阜県高山市奥飛騨温泉郷福地温泉 昔ばなしの里というところにライブをしに行きます。
FUKUNE MUSIC FES in FUKUJI-ONSEN
2013.06.08 (SAT)
START/END 12:00/21:00 (OPEN/CLOSE 11:30/22:00)
会場:岐阜県高山市奥飛騨温泉郷福地温泉 昔ばなしの里
出演者は沢山いるので
http://www.fukujionsen.com/fukune/
こちらをチェックしてください。
それで、次の日に静岡に行きます。
2013/6/9(日)静岡Freakyshow 
JIM O’ROURKE with INFINITY P(ジムオルーク、石橋英子、須藤俊明、山本達久)
DJ Ishikawa OPEN/19:00 START/19:30
そう、このふたつのライブは、いつものメンバーの波多野さんがいないのですが、新しいバンド名、INFINITY Pということになっております。
ちなみに、この後一週間あいて、6/17〜22は六本木SUPER DELUXEでジム・オルークのフェスティバル、「ジムO 六デイズ」というのがあります。私も参加させてもらう日もありますが、ジムの歴史を見れる貴重な一週間になりそうです。この写真のジム、いいですねぇ。
upload.png
http://amass.jp/22364

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ブログだし

これってブログだし、今回は日記っぽく起きたことを後から書くことにしようと思います。ライブの告知や好きな音楽の話などを書くのも自然かと思いますが、ブログってやっぱり日記っぽいほうがいいかなぁと思うよね。それに日記っぽく写真とかたくさん載せて・・・と思って書こうと思ったんだけど、今日はジェネシスのビデオ見てただけだし、先月は色々あったので先月のことを書きます。こういう場合って月記っていうのかね?
先月は、いきなり10日からですが、10日から16日まで合宿レコーディング!ずっとベース弾いて、酒のんで、充実した生活をしてました。で、17日は東京帰ってEP-4のリハ、初めて楽器の数がソコソコ揃う・・・次の日はリキッドルームでオールナイトのEP-4のライブ、初めて一応全員メンバーが揃う!そんで、その時の写真がこちら。
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ただの私のエフェクターです。メンバーの写真とか勝手にアップしたら怒られるかなぁと思って・・・。ライブの写真はライブをやってたので撮れないし。ちなみに久々にジャズベースでライブしました。そして久しぶりにツナ缶(右端)のエフェクターを使いました。昔HARCOやSPOOZYSで使ってたやつです。で、その次の日は買い物して、次の日は京都にリハーサルに。
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メンバーの写真をアップするとマズイかな、とか言っておきながら、メンバーの写真をアップしちゃいます。なんかイイ写真だしwキーボードの家口さんとドラムの千住くん、爽やかに日向ぼっこしてる写真です。そして、次の日がEP-4、KBSホールにてライブ。その時の写真がこちら。
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そう、この二日前にエフェクターボードを買いに行ったので、ボードにまとまってます。そして、GUYATONEのタッチワウ(WR2 Wah Rocker)が増えてますが、これは使ってません。どういうことかというと、ツナ缶(タッチワウ)を改造(?)して、電池のところに無理やり9Vのケーブルをくっつけてパワーサプライから給電出来るようにしたので、壊れたりしたらマズイと思い、予備でGUYTATONEを持っていったのでした。まぁ、問題なくツナ缶が動きましたが。
そして、ライブ当日のステージ上手ギター陣をステージ下手から撮影しのがこちら。
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左がYOSHITAKE君、奥のギターを持ってない人が田畑さんです。田畑さんとは京都のリハで会うなり「自分(オマエ)、なんでここにおるん?」「あ、ベース弾くんです、よろしくです・・・」「え?ベース?」という、まぁ、あたりまえのような、意外なような会話を繰り広げてしまいました。ちなみに、ライブの楽屋に、
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これ、弁当のことなんですがEP-4様10って書いてあるのを見て、EP-4、10人もいるのか!と気づきました。それより、これってヨン様っぽくない?ってことのほうが気になりますが。
そして、EP-4のライブの後は一日あけてソウル・アイランダーズのリハ、そして、ライブ2days!しかもカバー曲、約18曲!(実際何曲やったのかわからない・・・)そして、急にまたベースをEB-3に戻したので、弾きづらい!!!ストラップが長い!そして、馴染みのある曲を別のキーで演奏するのは気持ち悪い!オーティス・レディングのドック・オブ・ザ・ベイをB♭のキーで演奏したのですが、時間もなかったのでオリジナルのGキーで採譜した楽譜を見ながら弾くという・・・もう、最初からパニックなので、そんなこと気にならないっていうか・・・。
編成はボーカル+鍵盤にカフカ、もう死んだ人たちのメンバー全員、それにサックス、トランペット、ハーモニカ、1日目はモールスのメンバーも入っての・・・これまた合計何人いたんだ?ってなライブでした。でも、もう死んだ人たちのメンバーでシカゴとかビートルズとか、マービン・ゲイなんかを演奏するという、とてもレアなライブで、とても楽しかった。
という、5月でした。結構充実してたんだけど、やったことを書くと少ない・・・でも、かなりベース弾きました。